洋楽と暮らし by 島猫

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【昭和の洋楽】Stein Song - Rudy Vallée【1930】

Stein Song

こんにちは、島猫です。

 

メイン・スタイン・ソング(The Maine Stein Song)はメイン大学の校歌である。作詞は1902年にメイン大学の学生リンカーン・コルコード(Lincoln Colcord)、作曲はE.A.フェンスタッドの行進曲「オーピー」。1930年にルディ・ヴァレ(Rudy Vallée)によって広まり、ナンバーワン・ヒットを記録した唯一のカレッジ・ソングとなった。

 

1902年、メイン大学の2年生だったアデルバート・W・スプレイグは、メイン州バーハーバーのオーケストラで演奏していた時に、アメリカ陸軍のバンドマスターであったE・A・フェンスタッドが書いた行進曲「オーピー」を発見した。1904年、当時4年生で同校のバンド・リーダーだったスプレイグは、大学で開かれるコンサートの準備をしていた。彼はオーピーの一部をルームメイトのリンカーン・コルコードに渡し、メイン州をテーマにした歌詞を提供するよう頼んだ。コルコードは30分で歌詞を書き上げ、スプレイグはその歌詞に合うように曲を少しアレンジした。この曲は音楽担当の指導教授に提出されたが、飲酒の歌であり、酒類の製造と販売を禁止している州の州立大学がそのような歌を学生に歌わせるのは趣味が悪いという理由で反対された。しかし、スプレイグはメイン大学のジョージ・エモリー・フェローズ学長と偶然会い、歌詞は問題ないと告げられた。この曲はコンサートでヒットし、学生たちの間で人気となった。


歌詞は1905年2月15日にメイン大学の雑誌『The Maine Campus』に初めて掲載された。この曲は1910年6月23日、オーピーの著作権を所有していたカール・フィッシャーによって、「オーピー」-メイン大学スタイン・ソングという名前で著作権登録された。

 

ルディ・ヴァレ(Rudy Vallée)は、1921年から1922年までメイン大学に通っていたときにメイン・スタイン・ソングを耳にした。1929年、ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニーがオーピーの権利を獲得し、同局の『フライシュマン・イースト・アワー』の司会者だったヴァレは、テンポを速め、言葉を少し変えてこの曲をレコーディングした。この曲は2ヶ月間チャートのトップに君臨し、1930年を代表する曲となった。ナンバーワン・ヒットとなった唯一のカレッジ・ソングとなった。

 

1953年、ヴァレはThe Ford 50th Anniversary Showの一環として、6,000万人のテレビ視聴者(NBCCBSのネットワークで生放送)の前でこの曲を歌った。

 

【Rudy Vallée版】

www.youtube.com

 

【参考文献】

- The Maine Stein Song (song)

en.wikipedia.org

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- Stein Song (Rudy Vallée) from GENIUS

genius.com

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