洋楽と暮らし by 島猫

昭和の洋楽や日々の暮らし

【昭和の洋楽】Night and Day - Fred Astaire/ Billie Holiday/ Frank Sinatra/ Ella Fitzgerald【1932】

Night and Day

こんにちは、島猫です。

 

「ナイト・アンド・デイ」はコール・ポーターが1932年のミュージカル『ゲイ・ディボース』のために書いたポピュラーソング。おそらく、ポーターがグレート・アメリカン・ソングブックに提供した曲の中で最も人気があり、何十人ものミュージシャンによってレコーディングされている。NPRによれば、"ショーの開幕から3ヶ月以内に、30人以上のアーティストがこの曲をレコーディングした"。

 

フレッド・アステアが「ナイト・アンド・デイ」を紹介したのは、1932年11月29日、エセル・バリモア劇場で『ゲイの離婚』が開幕したときだった。その1週間前、マンハッタンにあるビクターのグラマシー・レコーディング・スタジオで、彼はレオ・ライスマン楽団と一緒にコール・ポーター作曲の「ナイト・アンド・デイ」と「アイヴ・ガット・ユー・オン・マイ・マインド」の2曲を録音した。1929年の株式市場の大暴落が暗い影を落とし、アメリカ史上最悪の経済危機である世界恐慌を引き起こした。わずか2年余りの間に、レコード業界の収入は1億ドルから600万ドルに落ち込み、3社(RCAビクター、アメリカン・レコード・コーポレーション(ARC)、コロンビア)を除くすべてが廃業に追い込まれた。このシングルは1933年1月13日にビクター24193としてリリースされ、22,811枚を売り上げ、その年のトップセラーとなった。

 

1933年5月23日、アステアは(独占禁止法上の懸念から)、現在はエレクトリック・アンド・ミュージカル・インダストリーズ(EMI)傘下となっていたコロムビア・グラフォフォン・カンパニー・リミテッドのためにこの曲を録音し直した。この曲は10月にイギリスでコロムビアDB1215からリリースされ、バックは同じくポーター作曲の「アフター・ユー・フー」だった。RCAビクターと契約していたライスマンは、このレコードでアステアの伴奏を務めることができなかった。米国盤と区別できるのは、15秒短い(3分10秒)ことである。

 

もうひとつ流通しているフレッド・アステアのヴァージョンは、フレッド・アステアジンジャー・ロジャース主演の1934年の映画『The Gay Divorcee』のサウンドトラックに収録されている。この映画は10月19日に公開された後、このバージョンがリリースされ、何年にもわたってレコード・アルバムに収録されてきた。5分近くあり、その間アステアは歌い踊り続ける。アステアの伴奏はマックス・スタイナーRKOラジオ・スタジオ・オーケストラ。

 

次にリリースされたのは1952年12月に録音され、翌年にリリースされたLP4枚組『The Astaire Story』で、アステアがキャリアの中で披露した曲を概観できる内容になっている。ミュージシャンにはオスカー・ピーターソンが含まれ、全曲が新鮮な録音だった。この「ナイト・アンド・デイ」のヴァージョンは5分以上あった。

 

この曲の起源についてはいくつかの説がある。ひとつは、ポーターがモロッコを訪れた際にイスラム教の祈りにインスピレーションを受けたというもの。また、オハイオ州クリーブランド・ハイツにあるアルカサル・ホテルのムーア建築にインスパイアされたという説もある。また、新婚旅行で訪れたイタリアのラヴェンナにあるガッラ・プラチディア廟のモザイク画にインスピレーションを受けたという話もある。

 

この曲はポーターと非常に関係が深く、1946年にハリウッドがケーリー・グラント主演で彼の半生を映画化した際、そのタイトルは『ナイト・アンド・デイ』となった。

 

【Fred Astaire版】

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Billie Holiday版】

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Frank Sinatra版】

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Ella Fitzgerald版】

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【参考文献】

- Night and Day

en.wikipedia.org

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- Night and Day from GENIUS

genius.com

 

以上